HONMEMO

読書備忘録です。

醜い日本の私/中島義道

うるさい日本の私 (新潮文庫)」の延長線上にあるお話。
なぜ多くの日本人は、「頭上に電線がとぐろを巻き、原色の看板でびっしり埋め尽くされ、スピーカーががなりたてる商店街の光景」を醜いと思わないのか、あるいは不快に感じないのか。フライトアテンダントなどサービス業における接客態度を奴隷的でおかしいと思わないのか。接客におけるマニュアル対応を不快に思わないのか等々。著者は、自らの感受性が、そのようなマジョリティの感受性とは異なる少数派のものであることを認識した上で、感受性の「共生」を図るため、涙ながらにw次のように提案している。

わが国では、教育においてとくに「共感」を強調する傾向が強い。「他人の気持ちが分かる人」とか「他人の痛みがわかる人」というスローガンのもとに、他人の感受性を尊重する教育がなされているように見える。だが、この場合、じつは「わかる」内容は、感受性のマジョリティが「わかる」ことに限定されているのだ。
(略)
…他人の気持ちをわかろうという教育ではなく、他人の気持ちはわからないかもしれないが、自分と異なった他人の気持ちを尊重しよう、という教育はできるはずだ。異なったものを排除するのではなく、同一化するのでもなく、異なっていることを認めたうえで、そのものとしては理解できないことを認めたうえで、彼らも自分と同じように生きる権利をもつことを承認することはできるはずだ。

でも、この本の面白いところは、著者が著者の思う理不尽と徹底的に戦っている戦いぶりにある(この点は「うるさい日本の私」の方がもっと詳細に書かれていた気がする。)。著者の気持ちは尊重したい(私の感受性と結構近いと思う)けれど、よくやるなあ。あまりお近づきになりたくはない…。

醜い日本の私 (新潮選書)

醜い日本の私 (新潮選書)


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