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読書備忘録です。

悪党芭蕉/嵐山光三郎

芭蕉自身が悪党だというより、自らのまわりに才能ある危険人物を引き寄せる魔力的な力をもつ人物だということなのだろう。下の引用でいう「流行をとらえる技をもつ者」であるということでもある。
俳句や芭蕉のことなど全くの素人なのだが、面白く読んだ。以下若干抜粋。

芭蕉は観念が先行する人で、旅をしても風景などはさして見ていない。芭蕉の頭のなかにある杜甫や西行などの詩の風景を、現場に見たてるのである。「蛙飛こむ水の音」は、芭蕉が自分で見つけたオリジナルのフィクションなのである。

芭蕉が初めて不易流行を説いたのは、『奥の細道』の旅が終わったころである。「不易」とは永遠にして変わらぬ原理。「流行」は刻々と変化していくことである。(略)本来は矛盾した理念を同一とするのだから、感覚として理解せざるを得ない。芭蕉は、かなり早くから、俳諧の流行と不易性に注目しており、それを、旅のなかで見出して、弟子たちをケムに巻いた。(略)
芭蕉の本心は、不易(善)にはなく、流行(悪)にある。世間一般の生活理念では流行を追ううかれ者は悪であるが、その流行こそが俳味の命なのであり、流行をとらえる技が俳諧師の腕となる。「不易」はつけたしである。

芭蕉の風狂は杜甫、李白といった中国の詩人や、能因、西行、宗祇など日本の反俗詩人の踏襲である。(略)そういった風狂の実体は文人の特権的生活でもあり、市井の人が真似できることではない。その高踏性を乗り越えなければ芭蕉オリジナルの俳諧は成立しない。(略)脱俗しつつも通俗社会に身をおくことを意識しなければならなかった。それは大悟徹底した高僧が、最後は民衆のレベルまで降り、やさしい言葉で布教していく姿を思わせる。芭蕉の「軽み」はそれに似ているが、俳諧は悟りではない。『荘子』を読んで典拠としつつも、学ぶのは巧妙奇抜な表現である。そのぎりぎりの着地点が難しい。

「軽み」は芭蕉が詠んでこそ軽妙洒脱な味が出るわけで、門人が真似をすると、工夫も味もない月並になってしまう。(略)こうなるのを知っていたのは一番弟子の其角で、もともと作為のある工夫と謎かけを得意としていて、「軽み」に乗ることはない。芭蕉が、江戸で一番人気の其角に対抗して考え出したのが「軽み」なのである。

悪党芭蕉

悪党芭蕉


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