論語は、読んでいるつもりの人も実は読んでいないという。「我々が知っている論語は、経学化した儒教のいわば検閲を通過した論語なのであり」、経学儒教が公許しなかった論語の章句が面白いとして、さまざま紹介され、解説される。古典は、良いナビゲーターを得ると面白い。
例えば、孝について。
『葉公、孔子に語りて曰く、吾が党に直躬なるものあり。その父、羊を攘(ぬす)みて、子これを証す。孔子曰く、吾が党の直きものはこれに異なり。父は子の為に隠し、子は父の為に隠す。直きことその中に在り。』
…最近、西洋的な個人主義の限界や病理を超える思想としての孝への注目が高まっている。…親は子を選ぶことができず、子も親を選ぶことができず、それ故、愛憎は錯綜する。その錯綜した愛も憎も自らが引き受けることが孝ではなかろうか。
- 作者: 呉智英
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2006/11
- メディア: 文庫
- 購入: 4人 クリック: 31回
- この商品を含むブログ (29件) を見る
300円@BO