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読書備忘録です。

昭和天皇/ハーバート・ビックス

英文で1/4ほど読んで放り出していた。天皇が相当に政策決定に主体的判断をしていたという指摘は、やはり違和感を禁じ得ないのだけれど、それがなかなか刺激的でもある。
ピュリッツァー賞受賞

一九二七年以来、宮中グループは、…大正天皇の病弱で一五年近く続いた天皇権力の衰微を挽回しようと努力した。彼らはそのために、「立憲君主」としての天皇と言う便宜的虚構を利用した。もちろん彼らの考える「立憲君主制」とは、西洋のそれのように、君主の強大な権力を制限する方策ではなかった。それは単なる隠れ蓑にすぎず、天皇は裏で権力を自由に行使し、事情が許せばそれを拡大さえしながら、責任は負わないのであった。上P203

天皇は御前会議を主宰し、日本のみならず日本の影響を受ける中国や他の国々の運命に関わる決定を承認した。…御前会議は、「天皇の意思」を「国家の意思」に変換する装置であった。…御前会議は、無責任という日本的な習慣の最たるものであった。…天皇の様々な介入は、しばしば間接的に行われたが、どの場合にも決定的なものだった。…天皇は、問題の精査、勧告、そして統帥部や陸海相に対するみずからの質問や指令を注意深く繰り返すことで大本営と相互に影響を与え合っていた。…天皇の「御下問」は、…事実上の命令に等しく、無視できないものだった。…天皇は、戦略の立案、計画の決定、時期の選定、その他の軍事作戦に関することに、時に日課として関与していた。そして、そればかりではなく、進行中の現地の作戦にも介入し、天皇の介入なくしてはけっしてありえないような変更をもたらしていた。上P368〜

天皇と両統帥部長は、前線司令官の山下奉文陸軍大将が戦闘を望まず、防衛体制が整っていないレイテ地域で、アメリカの真子軍と交戦することを強制したのだった。これは昭和天皇が、しばしば、作戦に破壊的な影響を及ぼす事例のひとつにすぎなかった。下P155
…沖縄の防衛戦を、昭和天皇は本土決戦のための捨て石と考え、信ずるところにしたがい、早い段階からしばしば、作戦に介入していた。下P158

天皇は、米ソの対立の激化を考慮し、アメリカが沖縄本島はじめ琉球諸島の軍事占領を長期間続けるように提案したのである。

昭和天皇(上) (講談社学術文庫)

昭和天皇(上) (講談社学術文庫)