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読書備忘録です。

平成精神史/片山杜秀

-平成は、災害や北朝鮮というリアルに対応不可能な事象に対して思考停止し、現実逃避、刹那主義に陥るニヒリズムが蔓延した時代。しかも、諦めてやりすごして何とかなるとう楽天虚無主義。これは、永続するものという皇国イデオロギーにも関係している。しかし、一方で、平成になって可能性としての終末が突きつけられている。

-平成は、経済成長による分配で国民の福利厚生の向上を図ることが困難になった時代。この中で国民の統合を図るために保守的思想が使われる。

  平成において、中間団体(農協などの圧力団体、労働組合など)の解体が進んだが、これは戦間期の政治状況に似る。

  平成のナショナリズムは、資本主義の行き詰まりがもたらす国民国家崩壊を押しとどめるためのみならず、東アジア冷戦構造に対応するために使われ、これに復古主義ナショナリズムが野合する。

  平成のナショナリズムは、それまでの経済ナショナリズムを相対化するために機能している。すなわち、物質的豊かさより精神的豊かさだというナショナリズム、非常時なので団結しようというナショナリズムが、福祉を向上させてみんな豊かに暮らそうというというナショナリズムをスポイルしている。

- AIによる雇用の減少は避けられない(もはやフロンティアは存在しない)ので、人間は疎外される。本来、資本主義が勝利した時にこそ、マルクスが読まれるべきであった。自由放任主義では済まない。AI、ロボットは、選択と抑制を労働者階級による人間本位の権力によって行う(現代の機械打ち壊し運動)べき。

-北一輝の思想と国家総動員時代の関係は、オウム真理教と平成の時代精神(ファシズム的性向、人間のポストヒューマン化)になぞらえられうる。