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読書備忘録です。

八九六四/安田峰俊

天安門事件はその後どのような影響を人々にもたらしたか。王丹、ウーアルカイシのようなリーダーから非知識人の参加者、当時は生まれていない香港民主化活動家まで、多様な人々に対するインタビュー。転向して中国の現状をやむを得ないと考える者、引き続き民主化運動を続けている者、相変わらずの鉄砲玉など様々な人間模様を垣間見る。

王丹は、天安門事件は、五四運動以来の中国の伝統的な知識人の価値観に基づいて国家を救おうとしたものであって、西側の影響が強く、グローバル化の中で起きた台湾、香港のヒマワリ学連、雨傘革命が天安門事件の経験に(具体的に)学んだということはないという。また、香港の民主化運動においても、香港本土派は、香港は中国ではないと主張し、「中国」の民主化運動である天安門事件に関心を持たない。一方、王丹は、天安門事件を語り継ぐのを自らの責任と捉えていて、その民主サロンなどの取組が台湾、香港の活動に一定の(ポンポンと肩を叩くことによる)影響を与えている。

王丹は、理論整然と天安門事件の失敗の要因を分析してなるほどと思わせるのだが、思想的基礎を欠いていたとか、組織系統がしっかりしていなかったとか、戦略がなかったとかというのは、成功した革命のうちにもそんなものがあるのではないかという気もする。

天安門事件は再び起きるか」が本書の副題だ。天安門世代の大量転向が起こった契機の一つは北京五輪だという。逆に、豊かさと誇りの認識が揺らぐ時、天安門事件再びがあり得るということかもしれない。現下の香港の民主化運動について言えば、中国自体の民主化なしには香港の民主化もないのではないか?その意味で香港はやはり天安門と無関係ではなかろう。

 

八九六四 「天安門事件」は再び起きるか

八九六四 「天安門事件」は再び起きるか