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読書備忘録です。

日本の近代とは何であったのか/三谷太一郎

英国ジャーナリスト、バジョットの「近代」概念に照らして、日本の近代の特質を明らかにしようとするもの。

すなわち、東アジアで独自の「議論による統治」を創出し、「貿易」=資本主義化を進めて「植民地化」による帝国を出現させた日本の「近代」の意味を問う。

政党政治の成立

幕藩体制下に合議制による権力抑制均衡メカニズムが存在した。

慣習の支配(公儀)→議論による統治(公議)へ。

明治憲法は、覇府排除のため分権的な側面があり、求心力を欠く。このため、体制統合の主体として藩閥が機能するが、藩閥と政党がその弱点を補うために相互に接近、立憲政友会立憲同志会という政党政治の枠組みがうまれた。

1930年代デモクラシーの危機の中で、その代替イデオロギーとして立憲主義→立憲的独裁が生まれる。=議会制から離れた専門家支配に立憲主義概念が変容

・資本主義の形成

当初外債に依存しない自立的資本主義→条約改正による関税収入増と戦勝による賞金→国際的資本主義へ→満州事変後国際協調主義を放棄し、国際的資本主義崩壊。

・植民地帝国化

英国等が植民地なき植民地帝国たる自由貿易帝国主義により非公式帝国の拡大を目指すようになる中で、日本は、よりコストのかかる軍事力への依存度の高い公式帝国の道を歩む。その理由は、当時の日本はなお最恵国条款を与えられる一等国でなく、非公式帝国のメンバーたり得なかったこと、日本は経済的利益より軍事的安全保障を重視したことにある。

国際連盟中心の国際主義(軍縮条約と金本位制)、民族主義が台頭する中で、対立概念として地域主義に基づく世界秩序が構想された(東亜新秩序)。

・日本の将来について、戦後、強兵なき富国路線は、東日本大震災原発事故で行き詰まりを見せている。→一国近代化路線から、グローバルな規模での近代化路線の再構築が必要。第一次大戦後のワシントン体制は軍縮に基づく平和的、現実的多国間秩序として重要な歴史的教訓。