HONMEMO

読書備忘録です。

人間の集団について/司馬遼太郎

1973年に新聞連載されたベトナム思索紀行。米軍撤退後サイゴン陥落前の南ベトナム(サイゴンメコン)で考えたことを徒然に記したもの(解説の桑原武夫は第一級の思想書と評する)。

親中、親ソ、新米3つの正義(共産主義自由主義でもいい)の名の下に、機械運動のように殺戮が続く。長い歴史の中で外圧に苦しんできたベトナム人は賢く妥協するという政治能力を持っていてしかるべきだが、そのような環境に自らを追い込んだのはベトナム人自身である。ベトナム人は政治的正義の表現としての戦争について十分知らないままに、外から際限なく兵器をくれる勢力を引き入れてしまった。

集団の持つ正義が強烈であればあるほど人間は「食べて、寝て、愛する」という素朴な幸福から遠ざかる。われわれは、人間の集団を生物の次元で考えねばならない時代に生きている、と。

南ベトナム国家には、国家理念による抑圧(司馬は、圧搾空気のようなものと言っている)がない。にもかかわらず、粛清があり、言論の異常統制、秘密警察の横行があるというのは、民衆にとってはやりきれないものだ(反共イデオロギーは圧搾空気たりうるが、それはアメリカのものでベトナム民衆のものではない。)。

国家の体制は、その国が与えられた条件に最もよく適うものがいい。アメリカの考える自由・資本主義の国家建設が日本でできたからベトナムでできるなどというのは非現実的。今更西欧先進諸国で共産主義が必要でないのと同じレベルの平明さで、アジアの後進地域においては共産主義が必要。

→その後の権威主義体制の問題を見た現在から見ると色々と留保すべきところもあるが、基本認識としてはそのとおりだろう。

ベトナム人は、日本でも明治初年まではいたという、顔を合わせると弾けるような微笑みを見せる親切な人が多いと。

→今のベトナムはいかに。