フリーランスのカメラマンによる6度にわたるウクライナ戦争従軍ルポ。
ひょんなことから従軍した部隊のフィンランド人義勇兵に言われて重い携行型対戦車ミサイルの空筒2本をヒーヒー言いながら担いで回収するハメになったり(しかもその空筒はその義勇兵の知人芸術家のオブジェになった)、現地での活動は多分に行ってみないとわからないところがある。
取材の成否も生きるも死ぬも運次第、固定観念の出る幕なし。そんなところがルポのリアリティを支えている。
小泉悠氏との対談付き。
フリーランスのカメラマンによる6度にわたるウクライナ戦争従軍ルポ。
ひょんなことから従軍した部隊のフィンランド人義勇兵に言われて重い携行型対戦車ミサイルの空筒2本をヒーヒー言いながら担いで回収するハメになったり(しかもその空筒はその義勇兵の知人芸術家のオブジェになった)、現地での活動は多分に行ってみないとわからないところがある。
取材の成否も生きるも死ぬも運次第、固定観念の出る幕なし。そんなところがルポのリアリティを支えている。
小泉悠氏との対談付き。
言語はコミュニケーションを円滑にし、社会生活を成り立たせるために発達してきたもので、日本語はその原点をよく保存し、人々を幸せにする能力を持つ。そのような日本語の思考で世界と戦うことが世界の人々のためになると。
自己中心的な欧米の思考に対して、渡邉雅子「論理的思考とは何か」が、日本で主流の社会的思考は共感を重視し利他主義を内在させるとしてその役割に期待し、また内田由紀子「日本人の幸せ」が、日本の協調的ウェルビーイングに期待するのと同様の思想だろう。
お偉いさんの与太話みたいだけれど、そんなにおかしなものではないのではないか。財務官僚というだけで歪んだ見方をされそうだけれど。
「AIは短歌をどう詠むか」を読んで、いろいろ代表的な短歌にあたってみたくなって。
目頭が熱くなる歌、身の回りの小さな出来事にほのぼの共感する歌、そんな時代だったなと思いを馳せる歌、様々に著者の言う「短歌1300年の底力」を実感する。
短歌や俳句、詩はガイダンスがないとなかなかついていけないものが多いのが悲しいところ。
「土」の研究から、地学、生物学を総合して地球46億年の歴史を語る。このような形で地球史の全体像が提示されるものを初めて読んだ。面白い。
土と生物はその相互作用によって進化してきたので、人間は生物を作ることができないように、土を作ることもできない。土は単なる砂と粘土と腐植の混合物ではなく、自律的な土壌再生、持続的な物質循環が土の本質だが、人新生の土壌は、生態系の人為的改変により物質循環を困難にし、肥沃な土は局在化している。それゆえに不可能とも思える土を作る可能性を追求するのだと。
短歌生成AIとの多様な付き合い方を説く。言語モデルについての知見はないに等しいので、その基礎がなんとなく分かり、また生成パラメータによって言葉の飛躍などを調整して得られる「短歌」の実例なども興味深かった。
個人の経験に根ざす典型的な創作活動である短歌についても、AIによって、あたかも人間が作ったかのような作品が生成されるのは驚くべきことだ。記号接地はAIにはできない(今井むつみ氏)とのことで、AIと人間との間には断絶があるのだろうけれども。
著者はAIとの違いは、人間の持つ短歌を詠みたいと思う「気持ち」にあり、計算の得意なAIと相乗させながらの作歌があるとする。
食にまつわる本についてのエッセイ。
冒頭に取り上げられる水上勉「土を喰らう日々」は、料理をするきっかけとなった本。水上勉が作る精進料理やその暮らしはすごくストイックなものだが、著者は、これをただただ自分がうまいと思うものを喰らい、またそれで客をもてなしたい、それだけなのだとして「清々しいまでのエピキュリアン」だと評する。なるほど。
土井善晴の料理提案は、理想的な家庭料理、丁寧な暮らし、インスタ映えといった固定観念からの「解呪」を行おうとするものというのも、そういうものかと。