今更ながらに坂口安吾をはじめて読む。今でもインパクトある文章だが、戦後直後に与えた衝撃はいかばかりであったかと思う。「文学」とは何なのかということが少しわかったような気もする。「不良少年とキリスト」の太宰論も面白い。
…戦争は終った。特攻隊の勇士はすでに闇屋となり、未亡人はすでに新たな面影によって胸をふくらませているではないか。(略)人間は堕落する。義士も聖女も堕落する。それを防ぐことはできないし、防ぐことによって人を救うことはできない。人間は生き、人間は堕ちる。そのこと以外の中に人間を救う便利な近道はない。
戦争に負けたから堕ちるのではないのだ。人間だから堕ちるのであり、生きているから堕ちるだけだ。(略)人間は結局処女を刺殺せずにはいられず、武士道をあみださずにはいられず、天皇を担ぎださずにはいられなくなるであろう。だが他人の処女でなしに自分自身の処女を刺殺し、自分自身の武士道、自分自身の天皇をあみだすためには、人は正しく堕ちる道を堕ちきることが必要なのだ。そして人の如くに日本も亦堕ちることが必要であろう。堕ちる道を堕ちきることによって、自分自身を発見し、救わなければならない。政治による救いなどは上皮だけの愚にもつかない物である。(堕落論)
手元のものは、「堕落論」、「続堕落論」、「日本文化私観」、「恋愛論」、「不良少年とキリスト」、「FARCEについて」、「文学のふるさと」、「風博士」、「桜の森の満開の下」を収めた集英社文庫。同じ「堕落論」のタイトルをもっていても出版社によって、収められている文章が違うようだ。
- 作者: 坂口安吾
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 1990/11/20
- メディア: 文庫
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asin:4101024022(新潮文庫)、asin:4041100038(角川文庫)
105円@BO