HONMEMO

読書備忘録です。

「三島由紀夫」とはなにものだったのか/橋本治

三島由紀夫が生きている間、三島由紀夫の作品を読んで「つまらない」と言える人間はいなかっただろう。それは、「つまらない」ではなく、「分らない」の言い間違えでしかなかったはずだ。そして、三島由紀夫の作品を読んで、「分らない」と言うことも出来ない。それは、「私は俗物である」という白旗を揚げることでしかなかったはずだからである。
(略)
……今の人間なら、三島由紀夫の知性に対して、「その頭の良さになんか意味があるんですか?」という疑問をたやすく発せられるだろう。その疑問が公然と登場しえてどうなったか?日本人は、ただバカになっただけである。

ということで、三島由紀夫の作品はたいそう面白い、と書いておこう。同様に、といってはなんだが、橋本治の作品も大変面白い。以下若干メモ。

末那識が、《自我、個人的自我のすべて》で、阿頼耶識が《その先》にあるのだとしたら、阿頼耶識とは「自分の外にある自分」であろうと、私は思うのである。「自分の外にある自分」とは何か?つまりは「他人への影響力」である。たとえば、末那識とは「『豊饒の海』を書く三島由紀夫」である。その先にある阿頼耶識は、別の人間の胸に宿って、「もう一人の三島由紀夫」を生む。読者は、『豊饒の海』を読むのである。読んで影響されるのである。そうして、読者の胸の中には、「『豊饒の海』を書いた三島由紀夫」が生まれているのである。…(略)…つまりはそれが、「阿頼耶識による輪廻転生」である。…

引用が大変なのでやめる。三島由紀夫の文学作品全般を見渡して、まさに「三島由紀夫とはなにものだったのか」を根源から探る、橋本治節炸裂の、粘っこい思索についていくのがなかなか大変な一冊だ。
第1回小林秀雄賞受賞作。小林秀雄賞 - Wikipedia

「三島由紀夫」とはなにものだったのか (新潮文庫)

「三島由紀夫」とはなにものだったのか (新潮文庫)


350円@BO