ガザの難民キャンプで生まれ育ったパレスチナ人の産婦人科医の自伝。
医学は人々の分断に橋をかけることができると信じて、ガザに住み、非人道的検問を通過してイスラエルの病院で診療を行うために往復する。(ガザに設備の整った病院はなく、パレスチナ人もイスラエルの病院へ行く)
2009年のガザ紛争の中で砲撃により6人の子供のうち3人の娘を失う。それでも、悲しみの中で抗議はするが、憎むことをしない。イスラエル人が憎くないのかと問われ、著者は、どのイスラエル人を憎むのか、砲撃をした人も、いずれそれを悔い、苦しむだろう、憎しみは病であり、治癒と平和を妨げるという。
対話と相互理解を求めて講演活動をし、また具体的な行動として女性の地位向上のための活動を行うための基金を作る。「女性の価値観が社会の全てのレベルで反映されれば、社会全般の価値観が変化し、ガザだけでなく、パレスチナ、イスラエルひいては中東全体の生活が改善されるだろう。これが娘たちを追悼するために私が望む、彼女たちの死がもたらす遺産だ。」
パレスチナに限らず、憎しみの連鎖をどう断ち切るのかは簡単ではない。著者のような活動の積み重ねが大事なのだろうが…。
10年以上前の上梓