たぶん文藝春秋誌上での座談会+αみたいなものだろうから、まあこんなものだろうって感想以上のものはないけれど、やはり、中西輝政の
「神風特攻」への若い世代を中心とした近年の関心の大きな高まりは、「鎮魂」というより「覚醒」の営みなのである。(略)あまりにも健気な、あの庶民兵士の自己犠牲の精神は、戦争をどう意味づけたとしても、文字通り日本民族史の精華として、千年経っても遺る「文明史的偉業」と言うしかないであろう。
ってのは、違和感あるなあ。そのすぐあとで、戸高一成が特攻は制度として準備されたものであるのに、作為的に自発的なものとされ、指揮官らは後から行くという約束を破った後ろめたさから彼らを顕彰したのだという旨書いているのが、まあちょうど良かったのかもしれない。
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