並木浩一元日本旧約学会会長と奥泉光(ICU卒)の対談による旧約聖書の解題。
最後はヨブ記。ヨブは最後、神との対話を経て、(応報原則が当てはまらない)善人にも災厄が降りかかる現実を受け止め、神の責任を問うことをやめて神を全面的に受け入れる。応報原則がドグマ化された「応報思想」というのが分かりにくいのだが、応報原則が成り立たない現実を理解しつつ、それでも(いつか神が辻褄を合わせるはずとして)受け入れるということ。
なお、神は自然界も人間も直接的に支配、介入はしない。神が責任を負い、介入すれば人間の自由、主体性がなくなるから。
本書を読了したところに、能登半島地震。なぜ神はこのような恐ろしい災厄をとは言わないが、理不尽な苦難の渦中にあって、怒りのぶつけ先がわからない、という被災者の心情は痛いほど伝わってくる。そんな時にヨブ記あるいは現代のヨブ記という副題のある「なぜ私だけが苦しむのか」を読むとさまざま考えさせられる。