ただ単に念仏を唱えれば往生できる(しかも、いわんや悪人をや)という専修念仏は、常識的にはすごく分かりにくく、貞慶の批判(念ずる心、菩提心を持たず、ただ口先だけで名号を唱えればいいと言うのは堕落でしかない)が真っ当に聞こえる。しかし、普通の人の心には菩提心などないのだから、まず、念仏を唱え続けること、その先に人間にとって本当に必要な何かが生まれるのだという。
親鸞は、僧籍を剥奪され、俗名を拒否して非僧非俗という、ただ「ひとり」となったことがその宗教性の根幹にあるということのようだが、ギリギリ俗に接近する態度ということでもありそう。
著者は歎異抄を何回も読んでだんだん面白くなったと言う。私も糸井重里と吉本隆明の対談とか、他にも解説的な本を読んだ記憶があるが、ほとんど記憶にない。これでは話にならないな。