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読書備忘録です。

犬と鬼/アレックス・カー

「美しき日本の残像」「ニッポン景観論」「観光亡国論」は、主として日本の国土や文化の美が失われてきたことについて述べるが、本書はより広く、金融や教育なども含め、その要因についても詳しく指摘している(先の3冊はもう詳しくは覚えていないが)。初出は2002年で英語で外国人をターゲットとして書かれたという。

過剰な公共事業(いい加減な都市計画、ハコモノ、コンクリートだらけ)、醜い電線や看板などの景観の破壊、環境に対する鈍感さ、土建・製造業偏重で観光や情報化への対応の遅れ、硬直的で腐敗する官僚制、金融政策の国際化の遅れ、画一的な教育、閉鎖的で外国人活用の遅れなどなど、いずれの指摘も極めて辛辣だが、概ね正鵠を射ている。

著者はこうすべきという主張は慎重に避けているが、第17章は、「革命は可能かーゆでガエル」と、諦めの境地である。

結論で著者はいう。日本がなぜこうなったのかを考える時、現代日本の全てに「実」がなくなっていると。やや分かりにくいのだが、「実」とは日本独自の精神、素朴で繊細な美意識といったもので、産業化、近代化、国力拡大のために、その代償としてこれらを失った。今その(醜い)現実を直視する必要があると。 20年前の提言である。その後修正されてきた部分もあるが、事態は大きくは変わっていない。

戦後の産業化、国際化の過程で、農林水産業という生業を維持できず、過疎化する地方の産業としては建設業しかない、あるいは災害が多発する中で治山治水は(官僚が過剰に進めた面はあれども)地元の強い要望(建設業者だけではない)があり、人命というコスト評価を持ち込むことすら躊躇われるような事業であったろうとして、行き過ぎを認め、引き返し、修正するというパラレルワールドへの道はどこかにあったのか(民主党政権、脱ダム宣言?)。修正すべきとの声は大きくなっているが、今でも基本的なモメンタムは変わっておらず、ゆでガエルへの道を進んでいるようだ。