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読書備忘録です。

国の死に方/片山杜秀

 終戦で国体は護持されたのか。そもそも国体とは何か。
 水戸学の国体思想や文部省「国体の本義」は、君臣相和す世界(先祖に頭を下げる謙虚な天皇に国民が感激して心を一つにすること)が国体の根本特質であるとしており、このことからすると、象徴天皇制になっても、国体は護持されているとする考えがある。
 一方、田中智学の息子里見岸雄は、このような国体の核心は、感激的世界を護持するために自らを犠牲にすることを厭わない犠牲社会を容易に形成できることだとする。その意味では国体は護持されなかった。「国体より重い命のない国」は死に、「人の命は地球より重い国」になった。

 国家が国民に決して死ねとは言えない国。新たな犠牲の論理も与えられない国。犠牲社会は少なくとも表向きには片鱗さえ存在を認められない。利益社会だけしかない。それはそれで素晴らしい。が、その国にはやはり死せる国体のあとのとてつもない空白がある。

 以上は、「第14章そんなに国を死なせたいのか」のメモだが、このほかにも、ヒトラーの独裁支配(ハンナ・アーレントの「無秩序の計画的創出」)、明治憲法下での権力分散など、権力構造についての論考が示唆に富む。
著者インタビュー

国の死に方 (新潮新書)

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