健常者としての記憶が刻まれた体で障害のある体を生きる人は、一つの物理的な体の上で、健常者と障害者の体が重なり、固有のパターンを生み出す。多重人格ならぬ多重身体。そのありようは様々。幻肢、幻肢痛は、脳が記憶している手や足の動きと現実の手や足の動きのズレが生むもの。
なんらかの障害を持った体とともに生き、無数の工夫を積み重ね、その体を少しでも自分にとって居心地のいいものにしようとし格闘してきた、その長い時間こそ、その人の体を、唯一無二の代えのきかない体にしている。そういう時間こそが身体的アイデンティティを作る。だから、吃音の人は吃音がなくなる薬があったとしても、それは飲まないのだと。