HONMEMO

読書備忘録です。

わたしを離さないで/カズオ・イシグロ

 柴田元幸が解説*1で、内容を具体的に述べるのを差し控える、予備知識は少なければ少ないほど良い作品だと書いているのが、何だか「じらし宣伝」みたいになっているような感もある。著者は、「提供者*2」「介護人」といったものをミステリーの謎のように設定する意図は全くなかったようであり、むしろそのように解されるのを苦々しく思っている節がある。実際、本書は、そんなことが事前に分っていた所で読者に与える感動が小さくなるといったことはほとんどないと私には思える。
 以下、完璧なネタバレとなるカズオ・イシグロのインタビューを引用するので、柴田氏の助言に従い、事前情報を入れたくないと考える方はお読みにならないよう。なお、知りたくないという方の便宜のため、完全ネタバレになる部分は白字で書く。
 カズオ・イシグロは、以下のように述べて、本書がミステリー的に捉えられることが本書のテーマの理解を妨げうるとしている。

これは、慎重に隠さなければいけない決定的な情報がある、殺人ミステリーではありません。本を出版して初めて、多くの読者がこの本はとてもミステリアスだと思ったことに気づいたのです。特に書評家が、書評を書くときに、どれだけ明かしたらいいのか、悩んだことに気づいたのです。(中略)私が書いたときは、読者は徐々にわかってくれると思っていたのです。(中略)クローンの話もすぐにわかってくれると思っていました。この小説は最初から読者が結末を知っているかどうかは、重要ではないと恩います。一旦答えを知ってしまうと、話がうまく続かなくなるというようなミステリー小説ではないからです。(中略)サスペンス性がそれほど大きな問題になることがわかっていたら、もっと最初の方で事実の部分を明かしていたかもしれません。そうすると読者は他の面やテーマにもっと留意することができたかもしれません。

 著者イシグロは、へールシャムを、外界を十分に理解できない子供世界のメタファーとして作ったなどと述べているように、本書のSF的設定は現実世界のメタファーとして捉えるべきなのだろう。どのように読むかは読者の自由であるけれど。
 この物語は、キャシー、ルース、トミーのあまりにも繊細で、傷つきやすく、思いやり深い関係の物語として、私の心を打った。彼らが臓器提供のためのクローンであるということは、ある意味ではそれ程大きな要素ではないのではないかと私には思われるのだ。
 また、本書を読んで感じるのは、登場人物達が、この非道な世界を壊し、あるいは逃げようとするエネルギーを持たないのはなぜかということなのだが、この点についても、著者は、インタビューで、次のように述べている。

この話を書くときに最初に思いついたことの一つは、話の中に“逃亡”を入れることでした。(中略)例えば、搾取されたカーストのメタファー、人間の精神についての話にもできるだろうということに気づいたのです。奴隷と反乱の話です。でもそういう話は書きたくなかった。私が昔から興味をそそられるのは、人間が自分たちに与えられた運命をどれほど受け入れてしまうか、ということです。(中略)我々は大きな視点を持って、常に反乱し、現状から脱出する勇気を持った状態で生きていません。私の世界観は、人はたとえ苦痛であったり、悲惨であったり、あるいは自由でなくても、小さな狭い運命の中に生まれてきて、それを受け入れるというものです。みんな奮闘し、頑張り、夢や希望をこの小さくて狭いところに、絞り込もうとするのです。そういうことが、システムを破壊して反乱する人よりも、私の興味をずっとそそってきました。

わたしを離さないで

わたしを離さないで


1890円@近所の本屋さん

*1:単行本に解説がついてるというのも珍

*2:英語ではdonor。訳者が「ドナー」と訳していたら、日本ではドナーと言ったら臓器提供者の意味が強いから、日本ではこのような問題は生じなかったかも?