俳句の話を縦糸に、生と死、天国と地獄、民主主義の挫折、時代精神の変遷、身辺雑事に及ぶ話題を記したエッセイ(あとがき)。
時代精神の話を少しメモ。
芭蕉は、古典復興の空気の中で生まれた根っからの古典主義者だったが、「かるみ」という脱古典を目指した。しかし、脱古典は古典主義者芭蕉の自殺行為で、苛立ち、命を縮めるものともなった。
旅に病で夢は枯野をかけ廻る
正岡子規は、誰もが国家建設の役に立つ「有為の人」たらんとする(国のために生きる)国家主義という明治の空気の中で生きた。
病床の我に露ちる思ひあり
一方、漱石はそのような国家主義から外れ、三四郎の中で日本は「亡びるね」と言わせる。
菫程な小さき人に生れたし
高等遊民たる「こころ」の先生が明治の精神の権化たる乃木将軍に殉じるのは、やがて訪れる国粋主義時代の大衆の姿を予見している。明治の国家主義が国のために生きることを求めたのに対し、昭和の国粋主義は同じく国家への貢献を理想とするが、国のために死ぬことを強いた。
谷崎潤一郎は、時代の空気を鋭敏に映し取った作家であり、「陰翳礼讃」の日本文化に対する幻想こそ昭和の国粋主義を生んだ時代の空気だった。
敗戦により国家という理想を失い、人間の欲望が野放しになった。三島由紀夫は「金閣寺」で理想のメタファである金閣を焼き、戦後の欲望の世界を生きようとした。だが、三島はそのようには生きず、いわば金閣に立てこもって、理想を喪失したいかがわしい戦後の欲望社会と戦い、割腹自殺した。
戦後の日本人は、「国」に代わって人間の欲望を制御する新たな理想を見つけられなかった。前澤氏の10億円お年玉企画は、渋沢栄一の「国家社会の利益」という理想を失い、何の理想のない膨大なカネが飛び交う、日本が行き着いた姿である。