HONMEMO

読書備忘録です。

なぜ戦争は伝わりやすく平和は伝わりにくいのか/伊藤剛

本書の前に読んだ高橋源一郎「僕らの戦争なんだぜ」に続いて、戦争を伝えることについて。

タイトルはややソッポ。

そもそも平和教育とは何か?戦争体験者の話を聞いて「戦争反対」を学ぶことで足りるのか?

ボスニア紛争のような内戦においては、加害者と被害者が交錯するため、平和教育も、早くから加害者を許すという痛みを伴うものとなる。一方、国家間の戦争の場合は、平和教育による「戦争の記憶」は、偏見の補強を招き、「記憶の戦争」が始まることになった。

だからこそ、戦争の記憶という場合、加害と被害の記憶を重ね合わせる行為が必要(森達也)。

戦争の記憶を、現在の問題として考えることができるか。アウシュビッツミュージアム館長の言葉「君たちに戦争の責任はない。でもそれを繰り返さない責任はある」そのために知るべきことを学んできたか。日本人が学んできたことはただ反戦でしかなく、知っている戦争のイメージはメディアによって作られたもの。そのようなモノクロームの戦争だけでなく、カラフルな戦時下の日常を知ることに意味がある。

平和教育は、正解のない、ジレンマだらけの問いを考えることにある。正義と平和は両立しないこともある。紛争解決の条件として虐殺の首謀者を赦すといったような。

ルワンダ内戦の教訓から生まれた「保護する責任」は、ある国家が自国民の命を守れないときは、国際社会には積極的に人々を保護する必要があるとする、内政干渉よりも人間の安全保障を優先する考え方。これは大国の軍事介入の大義名分となる(イラク戦争)という難しさがある。保護する責任論は、「正しい戦争」はあるのか、を問いかけてくる。日本の戦争絶対反対という反戦思想では対応できない、犠牲者を見殺しにするのか、暴力に立ち向かわないのかということが、改めて問われている。