HONMEMO

読書備忘録です。

校閲記者も迷う日本語/毎日新聞校閲センター

ネット記事の日本語にうんざりすることが多い中で、新聞の日本語はこういう人に支えられているというべきなのだろう。

校閲記者ですら迷うという言葉遣いや表記の仕方など、違和感を感じる(じゃなくて違和感があるか)と思っても、自分の感覚の方がおかしいのか、という発見もあったり。

「真逆」「大丈夫です」とか、本書で取り上げられているわけではないが「違くて」「知れて(よかった)」「になります」、やたらと語尾につく「かな」なんていうのも心がザワザワするけれど、言葉は生き物、淘汰圧に曝される中で生き残るものは?