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読書備忘録です。

民主主義は不可能なのか/宮台真司・苅部直・渡辺靖

宮台、苅部、渡辺による「週間読書人」での2009〜2018年の年末回顧鼎談。民主主義など政治、社会、経済思想的観点からの時事評論と書評。

トクヴィル「多数派の専制」 個人が孤独化・原子化していくと小さなコミュニティに依拠できなくなり、見えない権力や巨大な世論に自ら隷従していくようになる。=社会的紐帯の分断(無縁社会)が進む中で、世論は選挙の度に全く別の方向に雪崩現象を起こす。

グローバル化=資本移動の自由化が進むと市場も国家も上手く機能しなくなり、格差が拡大し、民衆が不安に陥る。→ポピュリズムが台頭し、構造改革財政出動増税といったグローバル化への適切な対処ができなくなる。(グローバル化→共同体空洞化→剥き出しの個人→承認と敵を求めて右往左往→民主制の機能不全化)

・[外交は強硬派、内政は自助重視、意思決定はトップダウン、効率思考]と[リベラル、共助重視、熟議、多様性思考]というパッケージがある。前者は、ポピュリスティック、感情的であり、不完全情報状態での決定となるので、いずれ国益を損なう。

→熟議による完全情報化と分断の克服が必要。

・デモに参加している人の主張を一定の政策としてまとめて、議会内・政府内の政治の仕組みに組み込んでいく回路が不在。熟議デモクラシーは、そうした回路を繋ごうとするもの。

・日本は、「補助金行政(褒美をもらうべく行政に従う社会)から政策的市場へ」と「ロビーイングからコンセンサス会議へ」の転換が必要。

・先進国は、新興国が発信できない価値を発信して市場を開拓していかないと先進国として生き残れない(ドイツ緑の党副党首)

・リベラルが退潮するのは正しいだけで楽しくないから。楽しいけど、正しくもある、が必要。正義と享楽の一致条件は、分厚い中間層が支えるソーシャル・キャピタルだが、それがないなら、テクノロジーで工夫する。

・リベラルは、ソーシャルキャピタルに恵まれた層に対する再配分を想定していたが、それができなくなり、それに代わるのが拡張現実や仮想現実のようなゲーミフィケーション大麻のような無害なドラッグ。双方とも痛みを除き、統治コストも下がる。→良い快楽と悪い快楽についての功利主義の議論

・生まれもっての優劣といった「運」はコントロールできないというのが人間社会の最後の共通項だったが、デザイナーベビーを含むゲノム編集はこれを破壊しうる。個人では左右できないところがあることを最後の平等性担保として残す必要がある(サンデル)。美容整形については容認しているが、ここから先は許されないという倫理上の境界線をどこに引くか。→その違いをロジカルに語れない。→コモンセンス問題