HONMEMO

読書備忘録です。

思考停止社会ニッポン/苅谷剛彦

コロナ禍で言われた「自粛」という言葉には、戦時下など過去の経験が知識として社会認識に加わり、自粛の要請といった妙な表現につながっている。自粛による行動統制は成功体験となったが、この体験が、同調圧力といった言葉で納得、思考停止してしまう日本文化論的思考を強化することとなるのか、自粛の意味合いと作用を見極め、時にそれに抗うことのできる自覚を備えた主体の立ち上げとなるのか、注意を怠らないことが必要。

鎖国」という言葉にも同様のことが言え、鎖国のような状態がウチの安寧をもたらしているかのような錯覚をもたらしている。多様性、異質性の重要性を考える時、このことに自覚的である必要がある。

平和ボケという言葉は、左を批判する場合にも、右を批判する場合にも使われるが、その批判は、認識の正しさの議論ではなく、主張や立場の正しさになり、認識の正確さを宙吊りにして議論を曖昧にしてしまう。

憲法と安全保障(自衛隊)の関係について、教科書は、合憲説、違憲説の両論を併記した上で、平和主義の重要性を説くという構成をとる。これは暗黙のうちにどちらの立場に立つかを求めるもので、両者の接点を求め、交流、妥協の可能性を探ることが求められていない。このような構図は、現実主義と理想主義とのアンビバレンスを弛緩させ、ナイーブに白か黒かの立ち位置の選択を迫る。これが右派、左派ともに平和ボケ言説で相手を批判することを可能にする。この点、高坂正堯は、アンビバレンスの生み出す「緊張関係」を自覚して「悩み」続けるという態度がことが必要だとする。白か黒かで思考停止するのでなく、悩み続けることが重要。