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読書備忘録です。

「正しい戦争」は本当にあるのか/藤原帰一

再読。本はあらかた処分し、図書館に依存するようになったのだが、本書は書棚に残っていた。

戦争と平和の捉え方には大きく3つある。

悪い奴(ナチ、フセインなど)を倒すことにより平和をつくる。これは正しい戦争。

正義などなく、各国が脅し合って均衡状態が生まれた時が平和(戦争にいいも悪いもない)。リアリズム論

武力そのものを否定する絶対反戦(正しい戦争はない)。

平和は、教条主義的な平和主義者が考えるような、青年の理想のようなものではなく、権謀術数の泥臭い外交交渉や談合によって保たれるもの。

平和主義を守るか守らないかより、目の前の戦争、あるいは戦争になりそうな状況をどうするかという問題、すなわち、具体的な状況の中で平和を作る模索が重要である。残念ながら国際関係において軍事力が必要な場面はあるが、軍に頼らない状況をどう作っていくか、また軍事力に頼らずに紛争をどう解決するかをできる限り丁寧に考えることが重要である。

日本の平和主義(憲法9条と非武装中立)は、日本国内向けの平和主義だった。すなわち、自分たちの安全を第一にする考え方であるが、日本人の多くが被害者になったという感覚からくる。(ヒロシマは、核の恐怖と結びついて世界に広めようとする運動になるが)。ここで抜け落ちているのが、戦争犠牲者として日本人しか考えていないこと。(ドイツ人は最近までドレスデン空襲を語らなかった)

日本は、ベトナムカンボジアという東南アジアの冷戦終結とその後の地域社会の安定に資金協力を中心として大きな役割を果たし、存在感を示した。

一方、東アジアの冷戦は、安全保障優位となって米国追随的にならざるを得なかった面もあり、うまくいっていない。正義、人権、民主主義の実現を目標としてもうまくいかない。安全保障を達成するためのリアリズム外交とならざるを得ないのだが、多国間交渉(6者協議)の中で、日本は、重要な役割を果たしうる。

国際政治の選択というと、どうしても平和を祈ることと軍隊を派遣することの両極端にいきがちになる。問題は憲法を守ることではなく、日本の置かれた地域から軍事紛争の芽をどれだけ摘み取ることができるのかにある。平和はお題目ではない。必要なのは祈る平和ではなく、作る平和である。

少し整理した方がいいが、面倒になった。