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読書備忘録です。

まっとうな政治を求めて/マイケル・ウォルツァー

著者はコミュニタリアン。現在の政治状況における「形容詞としてのリベラル」の重要性を説く。(保守とリベラルというような名詞でなく、)新しいポピュリズムと闘うリベラルな民主主義者、権威主義に反対するリベラルな社会主義者、反ムスリム等排外主義的ナショナリズムに抵抗するリベラルなナショナリスト、その他リベラルな国際主義者、コミュニタリアンフェミニスト、教授・知識人、ユダヤ人など。

「リベラルな」という形容詞は、政治権力の抑制、個人の権利の擁護、社会や国家の多元性・開放性、差異を寛大な精神で調整していくことなどをもたらす。

リバタリアニズムは、定義上リベラルと言われるイデオロギーだが、必ずしもそうでないリバタリアンが存在するように、リベラルにあらざるリベラル派が存在する。例えば、リベラルな共産主義者反共主義者・君主政支持者はありうるが、リベラルな差別主義者・ナチス警察国家金権政治はあり得ないであろうと。

まっとうな政治=decent politics の訳。decentは日本語にしにくい言葉だが、礼儀正しさとか寛大さのイメージを内包していて、リベラルな形容詞を説く本書の内容に相応しい。

 

 

 

資本主義と闘った男/佐々木実

宇沢弘文の評伝だが、その事績を詳細にたどることで、世界の経済学の潮流の盛衰記にもなっている。

著者には、宇沢とは思想的にも人間的にも対極と言ってよい竹中平蔵の評伝(大宅賞受賞)がある。

竹中が政権中枢に入ってその考え方で日本経済を動かす一方、宇沢は、水俣病成田闘争に関わり、社会的共通資本の思想を構築していく。民主党政権ができた時に宇沢を担ぐ動きがあったようだが実現せず、宇沢は普天間移設問題やTPP参加表明などに失望、激怒する。宇沢の思想は民主党が乗れるものではなかったということだが、昨今、格差拡大がいよいよ進む中で、社会的共通資本の思想についての理解、共感が進んできているように感じられる。やっと時代が追いついてきつつあるのだろうか。

 

 



 

 

中国の死神/大谷亨

中国の死神「無常」とは、中国民間信仰(仏教・儒教道教と直接は関係しない)の領域の鬼神であり、死者を鬼界へ導く勾魂使者。様々なバリエーションがあり、ユーモラスな趣もあるのだが、長い舌をダラリと垂らすなどそのビジュアルが強烈で、何やらそれだけでお腹いっぱい。表紙カバーだけでお腹いっぱいというのも失礼の極みだが、無常の歴史的な変遷など本書の内容はさっぱり頭に入ってこなかった。

著者によるからー写真多数収録

 





私の文学史/町田康

町田康の自分語り。高尚な言葉、建前の言葉と卑俗の言葉、本音の言葉。前者は欺瞞の言葉、後者は公にすると面白くなる。

詩は、わからんけどわかるもの。重大なことを書くと面白くなくなる、

文体は、その人の意思そのものであり(癖ではない)、工夫している。

文章が上手くなるには本を読むしかない。文体のチェックポイントは、1オートマチックな言葉遣いになっていないか、2言葉の背景、景色を理解して使うこと、3オリジナリティに拘泥しないこと。

面白いことを書くということは、この世の真実を書くこと。(差別されない領域にいる人が)「それは、暴論、極論だ」というのが差別意識の正体であり、(その領域にいる人が)この世の真実として言えば差別にならない。この真実を隠す建前を破壊するのが文学。

文章を書く上で自意識を克服することに苦労する。プロの作家は、この自意識を完全に失ったひと。

古典に触れるメリットは(嘘くさい)熱狂を遠ざけること。偏屈であることが熱狂を遠ざける。

 

 

 

武器になる哲学/山口周

ビジネスシーンなどでの活用を意識した50の哲学・思想についてのいわば箴言集。▼知らないものや認識を新たにしたものも多く、興味深く読んだ。▼このようなビジネス書が役立つかどうかは結局読者の意識次第で、私にとっては猫に小判であることは分かっていてもたまに手を出す。

 

 

 

世界の食卓から社会が見える/岡根谷実里

世界各地の家庭に滞在して一緒に料理し、料理から見える社会や暮らしを伝える「世界の台所探検家」。

決めつけない、しなやかな考え方が、好ましい。

伝統食が政治や企業活動によって作られたイメージであることがよくある(ブルガリアヨーグルト)

安全性、文化的アイデンティティと農業の現実のバランスの難しさ(メキシコ遺伝子組み換えとうもろこし)

技能実習制度の構造的問題(仏教会に身を寄せるベトナム技能実習生の精進料理)

宗教と食戒律ー宗教をはじめ多様な食の選択を真に理解することは、この世界をより深く理解することにつながる。

需要が拡大するアボカドは麻薬カルテルの資金源に。また、水を大量に消費する。大豆の需要拡大はアマゾンの森林伐採につながり、牛乳の代替となるアーモンドミルクは、地下水汲み上げで地盤沈下をもたらす。環境、健康、動物倫理の観点から良かれと思った選択が良くない結果をもたらすことがある。食の社会課題に万能薬はないけれど、食べるものの先への想像力を持っていたい。

サバなど水産物資源管理は、欧米と日本などで異なるが、欧米の考え方をそのまま押し付ければいいというものでもない。

代替肉はなぜ肉に似せるのか。これまでの食べる楽しみを諦めずに菜食に移行するための移行食。

配給の残るキューバ式オーガニックと資源大量投入型中国式農業。どちらの社会で生きたいか。環境と経済と人の生活と、すべてを満たす農業の未来はどこにあるのか。

虫食というと貴重なタンパク源などと必要性ばかり注目されるが、お金のためとか季節の楽しみとか、食べること以外に目を向けると、虫食文化が少し違って見えるのではないか。

鶏卵生産とアニマルウェルフェア。卵に3倍のお金を払い続ける覚悟があるか、経済的に厳しい家の食卓に行き渡るようになるかと考えると頭の中がぐちゃぐちゃになる。

伝統行事月餅の贈答文化に伴う大量の食品ロス、過剰包装。伝統をどう進化させ、発展させるか。好ましい変化は受け入れられても、都合の悪いことは伝統にしがみつく。

日本の野菜は水っぽくて、味が薄い。手間をかけてくせをおいしく食べる野菜よりも、短時間でそこそこにおいしく食べられる味が薄い野菜を求める消費者の嗜好、社会の要請がそのような野菜を産んだ。功罪ともにあるが、人間の意志が作ったもの。

 

 

 

進化的人間考/長谷川眞理子

我が国の進化心理学の第一人者による分かりやすい概説。

昨今は、性差についての研究は、性差別の問題と密接に関連するが故に議論が感情的となり、研究自体も減少しているという。人間の性差について客観的な評価は可能であり、研究者が偏見を持っていたとしてもそれを検証する手段を科学は持っている。差別を恐れて差異を認めようとしないのは科学的に不誠実であり、性差を十分検討する必要がある。

ヒトの適応進化環境は、長く続いた狩猟採集時代であり、基本的に雑食で、カロリー摂取はギリギリ、砂糖、脂肪、塩分はまれ。適度な運動が必要、子育てなども含めて共同作業で生計を立て、公正感を大事にするというもので、現代社会とはギャップがある。世界の歴史は、ヒトが新たな文化と社会を発明するたびに、適応進化環境からの逸脱が問題となり、その解決を迫られるという繰り返しだった。