HONMEMO

読書備忘録です。

無と意識の人類史/広井良典

現在、

1 人間の生の有限性

2 地球環境あるいは経済社会の有限性

に向き合わざるを得ない時代状況にある。

世界の人口・経済規模は、拡大・成長と定常化というサイクルを3回繰り返しており、定常化への移行期において、革新的な思想や観念が生成(量的拡大から精神的・文化的発展へ)、生存の道への転換を図った。最初が5万年前の狩猟採集段階における心のビッグバン(ラスコーなど)、次が農耕段階におけるBC5世紀の枢軸時代(普遍宗教の誕生)、そして今、第3の定常化の時代を迎え、「地球倫理」というような思想が生成しようとしているのではないか。

枢軸時代の思想は、農耕社会の「共同体の倫理」を乗り越える仁、慈悲、愛といった「個の内的倫理」を提起するものだったが、近代社会は個人とその自由を中心原理とするものとなり、今個人を超える地球倫理という思想が生成しようとしている(求められている)のではないか。

個人を超える思想とは、「個人から出発しつつ、地球の有限性や多様性を認識し、個人を超えてその土台にあるコミュニティや自然とのつながりを回復する」もの。

人間の生の有限性→死、無についての考察は、以上のような社会の有限性の議論と密接に関連して展開される。

限りない拡大を本質とする資本主義は、生命そのもののコントロールとその限りない拡大、テクノロジーによる不死が追求される(無の排除)一方、自然やコミュニティとの切断を通じて死生観の空洞化が加速する。

一方、地球倫理と繋がる死生観は、有と無、生と死にはグラデーションがある(連続的なもの)と捉え、「個人を超えて、コミュニティや自然ひいては有と無の根源とつながる」方向を志向する。