HONMEMO

読書備忘録です。

本当の戦争の話をしよう/伊勢崎賢治

シエラレオネアフガニスタン東チモールカシミールなどでの武装解除や停戦監視の現場経験を踏まえての福島高校の生徒との対話。

紛争を解決し、平和を維持するという観点からは、正義や人権も絶対的価値ではなく、相対的なものと捉えざるを得ないのではないかという厳しい現実がある。

虐殺を極めたテロリストを和平合意後の副大統領にする、子供の戦闘員を子供の人権という観点から無罪とするのは適当なのか(子供たちに1人殺せば死刑、千人殺せば許され、恩恵まで貰えるというメッセージを送ったことになる)。

人権尊重の戦後を作ることは大事だが、目指すべきは、その場、その時にあった人権をつくっていくこと。

保護する責任は、武力による内政干渉、日本もその方向へ向かっている。

PKOに大きな部隊をだす国は、外貨目当ての途上国、その国に道義的責任のあるような宗主国、国軍のイメージチェンジを図ろうとする国など沢山ある。日本はどれにも当てはまらず、無理をして出さなくてもいいのではないか、出すなら軍法を作るか、武力行使以外の方法を考えるか。

予防開発、ソフトボーダーなど、武力によらない紛争予防の模索を続ける必要。

日本は、アメリカを嫌う国から好かれているし、中立とも思われている。このような「美しい誤解」が紛争解決にもっと利用できるのではないか。

日本が好戦的でないというブランドイメージは、9条、ODAなどなどが積み重なってできたもの。このブランドをなくすのはもったいない。一方、9条改正は戦争できる国になるなど警戒感を煽るのも問題。

最大の親米国家でありながら、米国に戦争をさせない、早期講和に持ち込む、といった能力があれば軍事力とは異なる主体性の発揮になるが。

先頃、著者はウクライナ戦争について政府の仲裁を求める学者グループの中にいた。記者から「現状での停戦はプーチン政権による侵略と占領の固定化につながりかねない」と批判されたという。確かに「正義」の立場から言えばそうなのだが、著者はどのような停戦を思い描いているのだろうか。

今日のJアラートなんか、悪いセキュリタイゼーションの見本だわな。