HONMEMO

読書備忘録です。

中継地にて/堀江敏幸

回送電車は11年ぶりで、VIということ。新作が出るのを気にして待っている作家なのに、IVもVも読んでおらず、一体いつの間に出ていたのかと狐につままれた感じ。回送電車とは、評論でもエッセイでも小説でもないような文章の表象なのだが、そもそも著者の文章は、回送電車と銘打たれていなくてもそのような文章が多いから、久しぶりという感じもしない。

口数と口吸う、喜久井町と木喰虫、鱧の皮と刃物川、お文とお踏、自転車と次点者といった言葉の音や文字からイメージがホップしてずれていくような心なごむ小文を集める(I)は「なごみ」という裏千家の月刊誌(?)の連載。(II)は作家あるいは文芸作品をきっかけとしたもの。ここの冒頭に置かれた資生堂のPR誌に掲載された「春の中に春はない」という見開き2ページほどの小文の美しさ、豊かさはどうだろう。コーヒーが3倍美味しくなる。(IV)は追悼文。(III)はなんだろう。いずれにしても章立てにあまり意味はないのだろうが。

 

 

 

イーロン・マスク/ウォルター・アイザックソン

イーロン・マスクの評伝。アスペルガー双極性障害的気質の持ち主で、悪魔モードにある時は傍迷惑この上ない。

本人、休息が嫌いでシュラバ好き、リスクをとりに行くことが大好きで規制が大嫌い。

掲げるビジョンに向けて非常識と言える短い期限を設定し、自ら現場に立って従業員を極限まで追い込み、働かせ、従わない者は片端から解雇する。

そのようにして生み出された技術や製品によって多くの人々が恩恵を受けていることは事実。一方、著者が最後に記すように、歴史的偉業のためなら酷い言動、冷酷な処遇、傍若無人な振舞いも許されるのか、と言えば答えはNOだが、そのような面を抑えたマスクはマスクでいられるのか、というのは確かにあろう。ただ、イノベーションの道は様々あろうとは思う。

 



校閲記者も迷う日本語/毎日新聞校閲センター

ネット記事の日本語にうんざりすることが多い中で、新聞の日本語はこういう人に支えられているというべきなのだろう。

校閲記者ですら迷うという言葉遣いや表記の仕方など、違和感を感じる(じゃなくて違和感があるか)と思っても、自分の感覚の方がおかしいのか、という発見もあったり。

「真逆」「大丈夫です」とか、本書で取り上げられているわけではないが「違くて」「知れて(よかった)」「になります」、やたらと語尾につく「かな」なんていうのも心がザワザワするけれど、言葉は生き物、淘汰圧に曝される中で生き残るものは?

 

 



 

経済学の宇宙/岩井克人

著者の研究人生に焦点を当て、その研究内容を俯瞰するオーラルヒストリー。

経済理論は私には難解だが、氏の不均衡動学理論は、長く主流であった超新古典派的な「動学的確率的一般均衡」モデル(現実経済が大恐慌に突入しようがバブルで加熱しようが、それは最適状態であり、どのような政策的介入も正当化されないというものらしい)やその修正版である新ケインズ派を真っ向から批判する。また、その法人論、信任論は、法人に対する経営者の忠実義務(信任関係)が単なる契約関係と混同されたことにより、米国で顕著にみられるような経営者報酬の急膨張をもたらしたと指摘。昨今生じている格差などの問題、資本主義の本質を合理的に説明するもののように思える。

謙譲、誠実な人柄がにじむ。夫人は水村美苗。最近どうしているのか。

 

 

 

 

イスラエル/ダニエル・ソカッチ

イスラエルパレスチナの歴史は、平和共存の合意ができる(できそうになる)と、妥協を拒む原理主義者らが暴力や無神経な挑発によってぶち壊す。暴力はこれに報復する過剰な暴力を生み、事態を悪化させるという繰り返し。

右傾化・強権化を強めるネタニヤフ政権とガザを実効支配するイスラム原理主義ハマスが当事者として対峙するのでは遠心力しか働かない。本書の上梓は2021年(日本語翻訳が2023年2月)、著者はあくまで希望を失わないと書いたが、解説が予言したとおり、「2023年は憎しみと恐怖の連鎖がさらに激しさを増す年」になってしまった。もはやシーシュポスの神話。

米国のユダヤ人コミュニティは、基本的にリベラルで、民主党支持。今やなんでもイスラエル支持という態度ではなく、ネタニヤフ政権には批判も強いということだが、トランプの基盤でもある共和党系の福音派は、ネタニヤフ寄りのユダヤの宗教超正統派支持。(トランプが進めたパレスチナ抜きの周辺アラブ諸国イスラエルとの関係改善が今回のハマスの暴発の遠因とも言われる中で、米国の役割にもどこまで期待できるのだろうか。)

寛容と妥協のいかに困難なことか。

 

 

お客さん物語/稲田俊輔

飲食店経営者から見たお客さん、客の立場から見た飲食店関係者についてのあれこれ。

飲食店経営者は、お客さんに喜んでもらいたいという思いがあるが、お客さんそれぞれが何をもって喜びを感じるかはそれぞれで、そこにドラマが生まれる。

お店には、お客さんに期待する注文の理想のスタイル、世界観がある。お客さん側がこれに気を遣わなければならない道理はないが、客側がそれを理解し、身を委ねることはその店を最大限に楽しむための最も確実な方法であるし、それを尊重する気持ちはあった方がいいという。そんな経営者側の思いを語った後で、小籠包屋で小籠包だけ頼みたい僕はどう振る舞えばいいのでしょうか?と書くバランス感覚が著者の文章の人気の秘密かな。

 

 

 

近代おんな列伝/石井妙子

一人につき5〜6ページとコンパクトにまとめられた近代の女性37人の評伝。短い文章だが、性的な虐待や女性であるというただそれだけで差別され、才能の発揮を妨げられる無念や哀しみ、逆境の中でもがき、自己の意思を貫こうとする姿に心打たれる。封建的な人権感覚は大きく変わってきているとはいうものの…今なお。