HONMEMO

読書備忘録です。

音楽学への招待/沼野雄司

著者曰く、音楽学は融通無碍。和音とかメロディの分析?みたいなことかと思ったが、全く違ってその言葉からイメージするものよりはるかに幅広い内容を含む。

紹介されるのは、

音楽史学 駄作という定評のワグナーの「アメリカ独立百周年行進曲」の成り立ちと当時音楽後進国だったアメリカにおける意義について

音楽心理学 モーツァルト効果を巡る学術論争について

音楽解釈学 ドビュッシーの「海」は、モークレールの小説のエクフラシス(視覚芸術を文章で描写すること)という関係にあると解釈できるか

音楽社会学 不確定性音楽についてその社会的コンテクストを分析?よくわからない。図形楽譜というのに驚愕した。

音楽民族学 プロレスのテーマ(入場)音楽の儀礼、軍楽、芸能の3要素について

音楽美学 音楽のタイトルの分析からみた美学?この内容がなぜ美学になるのかよく分からない。

音楽政治学 マッカーシズムの嵐は、ハリウッドだけでなく音楽界にも。アイスラーは半強制的に国外退去させられて、旧東独国家を作曲

 

 



ぼくらの民主主義なんだぜ/高橋源一郎

東日本大震災直後から2015年までの朝日新聞「論壇時評」に掲載されたもの。

ここで民主主義とは、異なった意見や感覚、習慣を持った人たちが一つの場所で一緒にやっていくシステムのこと。他人と生きることはとても難しく、だから民主主義は困難で、僕らの民主主義を自分で作らなくてはならないと。

自らが主体的に社会を作るプロセスが、自分を変え、相手を変えていく。変わっていくことが楽しいと人々が知った時、罵倒と否定の社会を変えることができる。

この国の人たちの中に「みんな無知でいようぜ、楽だから」というメッセージが蔓延している。政治家のレベルが低いことは好ましいことであり、それを無意識のレベルで熱望している。

「戦後」は、戦争の体験を持つ人たちが作り出した。だとするなら、その後の時代は、受け売りの戦争体験でなく、自分のかけがえのない平和の体験を持つ人たちが作る時代であるべきだ。

皇后は、社会の問題を自分の問題として捉え、それを「自分のことば」で伝えることができる人。そのような言葉だけが遠くまで届く。

本書はそのような言葉に満ちている。

 

 

 

テロルの原点/中島岳志

2009年上梓の「朝日平吾の鬱屈」の改訂文庫版。安田財閥の創設者安田善次郎を暗殺した朝日平吾は、自尊心ばかり高く、何事にも他責的で、承認欲求が強い。北一輝の影響下に設計主義的な革新的日本主義を掲げ、「労働ホテル」構想の挫折等から富者に対する恨みを募らせ、安田を殺害、自殺する。この事件は北一輝に賞賛されたことなどもあって反響を呼び、革新的日本主義者によるテロの連鎖を生み、二・二六事件に至る。橋川文三は、朝日のテロの動機がかつての右翼志士と異なり、個人的な「怨恨と憂鬱」や「単に人間らしい生き方」をしたいというナイーブな欲求に基づいていること、また、朝日のパーソナリティの特徴は、「その感傷性とラジカルな被害者意識の混合」であり、「彼の不幸感は理不尽異常な攻撃衝動となって現れており、精神病理的様相さえある」とし、このような感受性が大正期テロリストに多く共通して見られると指摘する。

著者は、赤木智弘の「丸山眞男をひっぱたきたいー希望は、戦争」は、朝日平吾の鬱屈に似ており、格差社会における潜在的な鬱屈が、具体的な暴力となって現れることを懸念する中で、秋葉原連続殺傷事件が起きたことを契機として本書を執筆したという。テロの連鎖が起きないよう、多くの人の居場所を作り、承認格差が是正されるような社会のあり方を構想し、社会的包摂や地域社会の相互扶助を本気で考えるとともに、朝日平吾以降のテロを生んだプロセスを見つめ直す必要があるとする。

そして、安倍元首相殺害事件が起き、懸念が現実になった今、テロの連鎖が警察、監視権力の強化、言論の自由の弾圧へとつながった歴史を振り返る必要があると。

 

 

 

旧約聖書がわかる本/並木浩一・奥泉光

並木浩一元日本旧約学会会長と奥泉光(ICU卒)の対談による旧約聖書の解題。

最後はヨブ記。ヨブは最後、神との対話を経て、(応報原則が当てはまらない)善人にも災厄が降りかかる現実を受け止め、神の責任を問うことをやめて神を全面的に受け入れる。応報原則がドグマ化された「応報思想」というのが分かりにくいのだが、応報原則が成り立たない現実を理解しつつ、それでも(いつか神が辻褄を合わせるはずとして)受け入れるということ。

なお、神は自然界も人間も直接的に支配、介入はしない。神が責任を負い、介入すれば人間の自由、主体性がなくなるから。

本書を読了したところに、能登半島地震。なぜ神はこのような恐ろしい災厄をとは言わないが、理不尽な苦難の渦中にあって、怒りのぶつけ先がわからない、という被災者の心情は痛いほど伝わってくる。そんな時にヨブ記あるいは現代のヨブ記という副題のある「なぜ私だけが苦しむのか」を読むとさまざま考えさせられる。

 

 

 

地図と拳/小林哲

冒頭から満洲を舞台にした謀略ものかと思って読んだが、主人公の一人細川は間諜風ではあるものの、謀略ものの駆け引きの面白さで読ませる本ではなく、ドキドキさせてもらえなかった。

著者の東大での指導教官だったらしい松浦寿輝の上海を舞台とした「名誉と恍惚」がべら棒に面白かったので、そんな雰囲気を勝手に期待したところがあったが、変に期待するのが悪い。

時代は重なるが、上海と満洲という舞台の違いも大きい気がする。

多くの人物が登場するが、ロシア人宣教師とか孫悟空という弾が当たっても跳ね返す超人という面白そうな登場人物も思いのほか活躍の場がなく、全体として散漫な感じ。

 

 

 

世界は五反田からはじまった/星野博美

著者の曽祖父の代からの'ファミリーヒストリー'を、また大(greater)五反田の歴史を、祖父の手記や関係者への取材、文献調査などによって、丁寧に、きめ細かく描く。大五反田は、正田家のあった高台の御屋敷町と川沿い・低地の工場街が近接する地域であり、工場街は小林多喜二宮本百合子の活動の場だった。また、第2次大戦では最初に空襲を受け、また後に焼け野原となる。中小工場は軍需物資製造に活路を見出す一方、小売商は配給統制で先行きが見えなくなり、武蔵小山商店街は満洲開拓団として海を渡るが、残留孤児となった者も多く、帰国できたのはわずかだった。

そういう大きな話ももちろん興味深いのだが、町工場の大家族のこまごましたエピソードが本書の魅力なのだと思う。

 

 

 

硝子戸の中/夏目漱石

読む本がなくなって、Kindle知財切れの短いものを漁って。「硝子戸の中」ってエッセイだったのか。

39の短い文章からなっていて、繋ぎ合わせると漱石晩年の「吾輩は猫である」みたいな趣もある。幼少期の回想なども興味深い。

最後、漱石は、振り返って、自分の欠点などを書けなかったことをまあ仕方ないというように微笑する。こういう態度も「則天去私」につながっているのかもと考えるのは穿ちすぎか。

<もっと卑しい所、もっと悪い所、もっと面目を失するような自分の欠点を、つい発表しずにしまった。(中略)そこに或人は一種の不快を感ずるかも知れない。しかし私自身は今その不快の上に跨がって、一般の人類をひろく見渡しながら微笑しているのである。今までつまらない事を書いた自分をも、同じ眼で見渡して、あたかもそれが他人であったかの感を抱きつつ、やはり微笑しているのである。>